プロフィール
最初の印象は決して良かったとはいえない。確かハーレーのメインテナンスの方法をレクチャーしてもらうという取材だったと思う。 当時ハーレーはもちろん、バイクに関してほとんど知識がないなか、業界の中でも気難しいと聞かされていた、齋藤さんのところへ話を聞きに行くのは、それはもうけっこうなプレッシャーだった。
専門的な用語が飛び交う現場、わからないことが罪と思ってしまうような空気を感じながらの取材になってしまう可能性もあったと今は思う。しかし、あえていろいろと聞いてみた。ハーレーに乗っていなくても知ってるよ、というような内容もあれこれ。 すると、それに対して的確に答えてくれる。それこそ1聞くと10帰ってくるというような感じだ。
その時気づいたのは、この人は気難しいのではない(その気はあるが)、こだわりが強すぎるんだということ。整備に関して、この辺でいいだろうという妥協はせず、徹底的にやる。 そんな姿勢が人によっては口うるさい、気難しいと映るのかもしれない。確かにエンジンオイルやブレーキまわりの消耗品などの点検を怠っていたり、乗り方が荒いと怒られる。 しかしこうした整備に関して口うるさく言うということも、過去に大きな事故を経験し、バイクの楽しさも危険さも身をもって知っているからゆえの行動なのだ。
そんな齋藤さんとは、かれこれ5年ほどの付き合いになる。 初めは取材で訪れたのだが、ドラッグレースに参加してみないかと誘われたことをきっかけに通うようになったのだ。 3年前に現在も乗っているFXRを購入してからは、より川口まで足を運ぶ機会が増えた。
お店に行くたびに「こんなになるまでどうして放っておいた?」と怒られている。もちろん日々のメインテナンスを怠っている部分があるが、それ以上にベストな状態でハーレーを楽しんでほしいという齋藤さんのこだわりから出る言葉だ。
こうしたこだわりは独自のノウハウでエンジンをチューニングする「精密組み立て」やハーレー用「ハイパープロ」の開発に携わるなど、メカニックの枠を越えた取り組みへと発展している。
実際にエンジンが故障してしまった時、エンジンパーツをすべて見直し、精密組み立てをしてもらったのだが、この効果は鈍感な自分でもはっきりわかるほど。排気量などを上げることなく、エンジンの持つポテンシャルが引き出されたような感覚だ。 精密組み立ての前後ではまったく別のエンジンになったかのようなフィーリングだったのには心底驚かされたのを覚えている。
さらに足まわりにはハイパープロを組んでもらったことも現在快適に走れている一因であると思う。モデルごとどんなバネレートが最適なのか、輸入元のアクティブとともに開発に参加。ハーレー用のサスペンションのワールドスタンダードをプロデュースしているのだ。もちろん、これを組み込んだことで、FXRのハンドリングが劇的に改善された。 と、齋藤さんにはこれ以外にも細かな修理やメインテナンスに関して日々相談にのってもらっている。
小言をいいながらもきっちりと治してくれる、まさに僕にとってハーレーの主治医である。性格上、なかなか丁寧に乗ることができない僕としては、これからも永いこと通わせてもらうことになりそうだ。
クラブ・ハーレー編集部
沼尾哲平
高校生の時に地元のBMWディーラー、ホンダディーラーに通い詰めていた。専門学校卒業後そのバイク屋に就職。
そこの先輩から教わったことは仕事の仕方、考え方だった。しかし、若さゆえ1年半ほどで退職、数か月バイトをして本当に何がしたいのか考え、バイクの仕事がしたい事を再認識。前職で知り合いになったBMWジャパンの方に老舗のディーラーを紹介してもらって入社。そこで本物の整備士達に出会い、鍛えられた。
入社から数カ月は雑用、その後は新車中古車の登録や納車ばかり。やっと整備の仕事を与えられたと思うと新車整備ばかり。他の先輩たちは故障修理や車検など色々な楽しそうな作業のオンパレード。どうして自分だけありきたりな作業ばかりなのかと不満が募った。
ある時、新車整備以外の仕事が割り振られた。その時に気付いた衝撃な事実、地味な仕事をしていく中でバイクのおかしな所や異常ば部分がすぐに分かる。そして、そこを修正や調整をすると嘘のようによみがえる。この時になぜ新車整備ばかりやらされたのかの意味に気がついた。
ちょうどその頃、現在でも持ち続けているハーレー、ローライダーを購入。どんどんハーレーに魅了されていった。しかし、会社がハーレーの取り扱いをやめる事実を知り、他のディーラーへの移籍を決意した。
その後2件のハーレーディーラーを経て独立。現在に至る。